3月27日から4月8日にかけて、「東金山武古社寺めぐり」では、皆さんの「桜詣」をお待ちしております。
勝覚寺では、4月8日の花まつり(お釈迦様の誕生日)にならって、花まつりを押印させて頂きます。
また、最終日となる4月8日は釈迦堂を開帳し、潅仏(誕生仏に甘茶をかけて御祝いすること)をしてお参り頂けます。
勝覚寺のある山武市成東地区では、イチゴ狩りが最盛期を迎えています。併せてのお参りと来訪をお待ちしております。
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3月27日から4月8日にかけて、「東金山武古社寺めぐり」では、皆さんの「桜詣」をお待ちしております。
勝覚寺では、4月8日の花まつり(お釈迦様の誕生日)にならって、花まつりを押印させて頂きます。
また、最終日となる4月8日は釈迦堂を開帳し、潅仏(誕生仏に甘茶をかけて御祝いすること)をしてお参り頂けます。
勝覚寺のある山武市成東地区では、イチゴ狩りが最盛期を迎えています。併せてのお参りと来訪をお待ちしております。
上京してお勉強した帰りに、荻生徂徠のお墓へお参り。
港区三田にある長松寺(淨土宗)さんの境内にあります。
徂徠物とあるのは、物部氏の末裔だということから、「物」の一文字を入れています。
荻生徂徠(おぎゅうそらい 1666-1728)は、江戸時代に活躍した学者です。
徂徠は子どもの頃、勝覚寺の近くに住んでいました。
当時、勝覚寺の住職だった覚眼(かくげん)に、四書大全という本を借り受け、勉学の基礎を築きました。
後に五代将軍綱吉の時代、柳沢吉保に取り立てられて出世しました。
覚眼と徂徠の縁により、元禄15年(1702)に、徂徠が「勝覚寺縁起」を著しました。
それには元禄15年12月15日の日付がありますが、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件(同年12月14日)の翌日です。
すでに幕府のブレーンとして活躍していた徂徠は、討ち入り事件を当然知っていたはずですので、それを思うと歴史のロマンを感じます。
徂徠は赤穂浪士を切腹させた事で反感を買う部分もあったそうですが、当時の法に照らせば打ち首などの処刑相当だったのを、武士の尊厳を保つために切腹をすすめたという事らしいです。