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勝覚寺では7/5(金)~7/7(日)までの3日間、七夕詣~夏詣~の準備をして皆様のお参りをお待ちしております。
期間中、御朱印をお受けになった方には、かわいいデザインの「七夕詣~夏詣~」を押印させて頂きます。
さらに「東金山武古社寺めぐり」の“はさみ紙”(数量限定)をお渡しします。
10社寺満願いたしますと、天の川が浮かび上がります。
またお参りの方々に、短冊をお渡ししますので、お願い事をご記入ください。
http://www.t-s-old-t-s.webnode.jp/
東金山武古社寺めぐり
長い間地域と共に歩んできた歴史がありますが、地域の方々にはまだまだ知られていない社寺もあります。
すぐ近くに、神社やお寺があるのは知っていても、お参りしたことが無かったり、同じ市内は勿論、お隣の市になるとほとんど行ったこともない…。そういう人も少なくないと思います。
東金・山武 古社寺の会では、皆様のご参拝の準備をしてお待ちしております。
上京してお勉強した帰りに、荻生徂徠のお墓へお参り。
港区三田にある長松寺(淨土宗)さんの境内にあります。
徂徠物とあるのは、物部氏の末裔だということから、「物」の一文字を入れています。
荻生徂徠(おぎゅうそらい 1666-1728)は、江戸時代に活躍した学者です。
徂徠は子どもの頃、勝覚寺の近くに住んでいました。
当時、勝覚寺の住職だった覚眼(かくげん)に、四書大全という本を借り受け、勉学の基礎を築きました。
後に五代将軍綱吉の時代、柳沢吉保に取り立てられて出世しました。
覚眼と徂徠の縁により、元禄15年(1702)に、徂徠が「勝覚寺縁起」を著しました。
それには元禄15年12月15日の日付がありますが、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件(同年12月14日)の翌日です。
すでに幕府のブレーンとして活躍していた徂徠は、討ち入り事件を当然知っていたはずですので、それを思うと歴史のロマンを感じます。
徂徠は赤穂浪士を切腹させた事で反感を買う部分もあったそうですが、当時の法に照らせば打ち首などの処刑相当だったのを、武士の尊厳を保つために切腹をすすめたという事らしいです。