境内のご案内

釈迦堂syakado

現在の釈迦堂は江戸初期の元禄八年(1695)の建立で、様式は紀州和歌山県によく見られる造りといわれ、往時紀州棟梁の手によって建立されたものと思われます。
近年では戦後、アイオン台風により、著しく破損したのを後の昭和四十年に大改修。
また、昭和五十九年には宗祖弘法大師千百五十年御遠忌事業として、釈迦堂屋根の全面修復。この釈迦堂を修復する時には古来より龍神からの良材の提供があった、という伝説があります。
萩生徂徠による当寺の縁起書には、その奇瑞が数度書かれています。一例には、大水が出て寺の裏門の所に三間の板敷が流れてきた、というのがあります。
ご本尊は拈華微笑の釈迦如来、脇侍は阿難・迦葉(あなん・かしょう)そして釈迦如来を守護するように、四天王像が安置されています。

遍照殿hensyouden

平成23年末に竣工しました。
旧遍照殿は、昭和の初めに公平村(現東金市)から、農家の大きな古家を買って、ここに移築しました。以来70年以上が経過して傷みも激しく、住職、総代の協議の結果、平成22年に改築するが決定されました。
平成23年初に解体、3月にも着工の予定でしたが、3月11日の東日本大震災の影響で工期も大幅に遅れることになりました。
3月11日の時点では更地になっていたので、被害もありませんでした。振り返ってみれば、これも勝縁と思わざるを得ません。
そして、当初の予定から遅れること4ヶ月、12月15日に引渡しされました。そして12月21日には 、遍照殿本尊の大日如来が釈迦堂から遷座され、遷座の法要を営むことが出来ました。
改築された遍照殿は、以前より一回り大きくなって100坪を越えています。
年回忌法要は勿論、ご葬儀も可能です。
仏事以外のイベント、講演会やコンサート、発表会などにも。
地域の交流の場として、発表の場としていきたいと考えています。

鐘楼堂syourou

平成17年に再建されました。
太平洋戦争で梵鐘を供出して以来、60年の間、梵鐘がない鐘楼が建っていました。
これも傷みが進み、天災で被害を被るのではということで、平成14年に解体されました。その後、再建の機運が盛り上がり、平成17年に完成しました。
吊されている梵鐘の口径は二尺八寸。
四方には四天王像が陽刻され、所願成就と法界萬霊供養を念じて、毎朝6時に住職が撞いています。

芭蕉の句碑stone

境内には松尾芭蕉の詠んだ
「保ととぎ壽 鳴くや黒戸の 浜飛さし」
と刻まれた句碑が建てられています。建立は天保十一年で平成三年に成東町の史跡に指定されています。

覚眼法印の墓石

平成14年3月25日に成東町の史跡として指定を受けました。宝永五年四月四日に遷化された覚眼法印は、 現在の釈迦堂を元禄八年に再建するなどの功績がありました。
『成東町の文化財』(成東町教育委員会 平成14年3月31日発行)の紹介文を下に引用します。

成東町松ヶ谷の勝覚寺の一隅に、江戸期の儒学者荻生徂徠とゆかりの深い下横地円頓寺の墓石がある。荻生徂徠は、延宝七(一六七九)年十四才の時、父荻生方庵が将軍綱吉(当時館林候)の勘気を蒙り、茂原市本納に流された際に一家と共に本納に移住、青年時代の大半を過ごし、独学自習して後に高名を得たと言われ、この地が「荻生徂徠勉学の地」として千葉県指定史跡となっている。其の後、天和三(一六八三)年徂徠十八歳の時、一家は本納より下横地に移住し、円頓寺に居った覚眼法印から庇護や援助を受けた。この地で没した徂徠の祖母は同寺に埋葬され、徂徠も覚眼法印から『四書大全』を借り勉学をした。徂徠は後年、松ヶ谷の萬徳山勝覚寺住職となった覚眼法印のために、同寺釈迦堂再建を讃える縁起書を自ら書き記している。


仏像

本尊 釈迦如来坐像syaka

もともと安置してあった本尊の釈迦如来像(身 丈五寸七分と伝える)は、毘首羯磨御作と伝え、大同元年、弘法大師入唐求法ご帰朝の砌に携えたものと伝えられます。
今の釈迦如来像は、四天王像奉安の奇縁により、運慶が彫ったものとされております。
遍照殿改築に伴って、平成22年夏~平成23年末 までの500日間をかけ、河本雅史仏師率いる「長南文化財修復室」に依頼して、解体修理がなされました。

様々な発見等もありましたが、一番気になっていたのは、印契の事でした。
江戸時代から版木が伝わっており、そこには四天王を四方に配し、中央には釈迦如来が座しています。その釈迦如来の印契は拈華微笑。左手に蓮華を持っているのです。
今回の解体修理により、左手が新しい時期(昭和の時代か)に造られたという事が判明しました。
となると、版木の拈華微笑像が正しいと思われます。
今回の修理を機に、左手首から先を新造して、本来の拈華微笑像としました。

脇侍 阿難・迦葉

阿難・迦葉の両尊者共に運慶作と言われ、千葉県の指定文化財です。両像とも檜材の一木割矧造り、玉眼嵌入、彩色仕上げです。阿難像は64.5cm、迦葉像は65cmです。
二大弟子像の他例は県内では長柄町眼蔵寺、茂原市藻原寺にあり、いずれも当像と同じく鎌倉時代後期ごろの造像と思われます。
(釈迦堂安置)

四天王立像 四躯zoutyouten

四天王とは、持国天、増長天、広目天、多聞天の四人の佛法を守護する守護神であり、いずれも松の寄木作りで、像高2mを超える巨像です。
太造りの体躯、真迫の憤怒相を示し、中世四天王像の本格的作例として県内鎌倉彫刻を代表する雄作と言えます。
(釈迦堂安置)

妙見菩薩立像

現在、遍照殿に安置してある妙見菩薩像は、千葉観音(千葉寺)より勧請したものと、伝えられています。
隣接する御中主社のご神体で、神仏分離により別当寺であった本寺に移され、現在客仏として本堂に安置されています。 身に皮鎧を着用した武人天部型で、髪を長く伸ばした少年の姿に現され、おおよそ 『千葉妙見』の通形ということができます。
『千葉妙見』とは、中世千葉氏が妙見菩薩を一族の守護神としたことから、軍神(いくさがみ)らしく創案されたもので、平安期以前の妙見菩薩とは全く異なった姿をとっています。
(遍照殿安置)

賓頭盧尊者

通称”おぴんずるさん”等の名で呼ばれ、撫で仏として庶民に親しまれている仏様です。
この仏様は地元の漁民の信仰が厚く、不漁になるとこの仏様を借り出して、船の舳先に縛り付け漁に出ると、必ず大漁だったそうです。
また、江戸時代に江戸で流行ったコレラにも霊験あらたかで、多くの患者を救ったといわれています。
(遍照殿安置)

ピンクのなで仏(おびんづるさん)

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当の賓頭盧尊者は、傷みが進んでいるので、実際になでていただくことができません。
平成23年、遍照殿の改築にあたり、京都の藤原愛子さんに依頼して、実際になでて親しみをもって頂けるような賓頭盧尊像のお姿を描いていただきました。ご自身の体の治してほしいところを納め札に書いて、尊者の部位をなでて身体健全・病気平癒を祈願してください。
(遍照殿安置)

波乗り不動

サーフィンが盛んな九十九里。
サーファーの皆さんの海上安全を祈願して建立されました。
海上安全と技術向上を守護するステッカーお守りもあります。
近年では、世間の荒波を乗り越えるためのお守りとしても人気です。

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曼荼羅図

童子経曼荼羅図mandara

童子の怖畏疾病を除き、産出時の保名長寿のために修する童子経本の本尊で、中央に右手の三叉戟(さんさげき)で十五鬼の首を差した乾闥婆王(けんだつばおう)を描いています。
金泥の盛上彩色が用いられていることなどから南北朝時代に遡る制作と推定され、現在市内に伝わる最古、最高の仏画とされています。