荒木照定大僧正と四天木と蔀戸(しとみど)

古いアルバムからこの写真を発見。
先代住職が晋山直後(昭和40年晋山)に、多聞天を修理したがその時の記録写真。残念ながら、修理記録・報告の類ではなかったが、多聞天像以外に興味深い点がいくつか。

後ろに木札が何枚か張られているが、何かの寄付をして下さった方々のお名前が見て取れる。そこにははっきりと、「四天木」の地名が。現大網白里市の四天木に間違いないが、その四天木は古くからこの四天王像と縁があるとされている。今ではほとんど縁が無くなってしまったが、50年ほど前までは何らかの関係を保っていた。
そしてその木札に混じって、「荒木照定」の名前も。これは当時の成田山新勝寺の貫首である。当山からほど近い小松浜の出身なので、何かとご信援を頂いたのだろう。

そして、やはりというか残念というか、堂の扉が蔀戸である。やはりそうだったのか・・・。
それと暗くて分かりづらいが、堂内に格子戸も見える。これも同様に、やはりそうだったのか・・・。

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